「世界はそれを愛と呼ぶんだぜ」

だから私も、この気持ちを愛と呼んでみることにする。

愛の真似事だったかもしれないし、相手にとっては全然愛じゃなかったかもしれない。
側から見れば、ただ未練がましくてみっともないだけかもしれない。
でも、愛だったらいいなと思う。これが愛でなければ、私の中に愛は存在しない気がする。

不器用すぎて、気を回しすぎて、相手にとって余計なことばかりして、結局傷つけて、もういらないと言われてしまったから、自分に愛はないと思っていた。自分はなんて冷たいくそ野郎なんだと。

全然、相手が望む形ではなかった。
相手が望む愛の形をわかっていなかった。
でも、きっと一生懸命相手のことが好きで、理解したくて、安心してほしくて、それは自分なりの愛だった。

あの時、あんまりにも真面目に相手にとっての幸せが何かを考えて、相手の気持ちよりも「こうあるべき」を見てしまっていた気がする。
あるラインを超えてしまうと、私が私でなくなってしまうような、私である必要がなくなってしまうような気がしていた。

自分の存在が相手にとって嫌なものになって終わってしまって、もう謝れないし何も伝えられないことがどうしようもなくて、でも捨てられずに、どこにもこの気持ちの行き場がないまま走って、転んだ。
転んだのに、手はしっかりそれを握り締めたままだ。

いくつかのお願いごと、そっと呟いてくれた言葉は、どんな気持ちで伝えてくれたのか、
怖かったのだろうか、どう思われるか不安だったろうか。
どれだけ孤独で寂しかったか、涙が出る。

私はさぞかし能天気に見えていただろう。
今頃になって気がつくことばかりだ。
後から後から。

あなたの不安をなくそうとするのではなく、そのままを受け止められたらよかった。
でもあのときはそれをわかってなかった。それができなかった。あなたが望む愛を理解できていたら、それをあげられたら、私にそれができたら、どんなに良かっただろう。
私の中にもちゃんと愛があるのだと気がついていたら、もっと私が私自身を受け入れることができていたなら。

ぐちゃぐちゃだけど、でもやっぱり、幸せを願ってしまう。
元気でいるのか、眠れているのか、寂しい思いをしていないか、温かい気持ちでいるのか。
幸せを願う気持ちと、相手の幸せに私はいなくて、他の誰かがいることを想像して身悶える気持ちと、
もうどうすることもできず、関わらずにいることしかできないのに、余計なもしもがいくつも浮かぶ。

親の愛し方を、子どものときの私は愛とは思えなかった。
親は親なりに私を愛してくれたけれど、親には愛する能力や技術が足りなくて、あるいは余裕がなかった。
大人になって、というか老いの入り口に立って今頃やっと、親の愛し方を理解できた気がする。

いろんな愛の形があるのだろうし、あっていいのだと思う。
相手が望む愛の形と、自分の愛の形がお互いによく見えていて、それが一致していたらどんなに素敵だろう。
自分が受け入れられない愛もある。相手に受け入れてもらえない愛もある。

人生のその時々で、愛の形も変わるのかもしれない。相手も自分も。
人生のその時々で変化して、出会ったタイミングの形が、パズルのピースのようにはまるときもあれば、まったく噛み合わないこともあるのかもしれない。
その時、そのタイミングで出会ったが故に合ったり、合わなかったり。
でもきっと、そのタイミングでしか出会えなかった。そのタイミングだから、出会えた。

ケンカしても、乱れてぐちゃぐちゃになっても、それでも一緒にいたかった。
全てを知ることはできなくても、理解し合おうとする、手を離さないでいる。諦めずにいる。
そうやって、もっと知りたかったし、知ってほしかった。
見てほしかったし、見せてほしかった。
もっと近づきたかった。一緒にいたかった。
あなたじゃなきゃダメだった。
何一つ、うまく伝えられなかった。ごめんね。

あなたがいつか、安心して心を委ねられる誰かに出会えて、心から受け入れられたと感じたとき、その人と心から愛し合えたとき、少しでも思い出してくれるだろうか。
あいつなりの愛だったと、ちょびっとでも思い出してくれるだろうか。そうだったらいいな。

思い上がりかもしれないけれど、もし一緒に過ごした時間が相手を守ることがあるならば。
一緒に過ごした時間が、本当に幸せになれる誰かのもとへ相手を運ぶならば、それ以上の幸せはない。強がりだけど、そのために出会ったのならば、私は私の役割を果たせたのだろう。
本当は私が幸せにしたかったけれど、私は私なりに、相手に贈り物ができたのかもしれない。
…こういうの、重いっていうんだろうな。

でも、重いと言わずに受け取ってくれる人に、いつかもしも出会えたなら。
お互いが安全な心の居場所になれる人に出会えたなら。

何度でも信じ直すしかない。たとえ人生が終わる一日前だったとしても構わない。
あるいは、出会えると信じたまま死ねるなら、それでもいい。来世とかはよくわからないけれど。
そんな希望を消さないように、たとえ消えてもまた、かすかでも灯せるように。

自分の中にも確かに愛があると、気がつかせてくれた。
私はあなたに何を返せただろう。
愛かもしれないと思えたから、もっと自分を受け入れていける気がする。
名前をつけて、大事に心のなかにしまっておく。


幸せになってください。あなたは愛されるべき人だから。
たくさん人に与えてきた分、今度はあなたが受け取ってください。
怯えずに、ううん、怯えたままでも、疑ったままでもいい。

ただ、受け取ってください。愛されてください。
最初は慣れなくて、違和感ばっかりで、不安がぶり返すかもしれない。
でもきっとその人は、その不安ごとあなたを愛してくれるから。

あなたが愛を受け取ってくれることが、どれだけ相手を幸せにするか。
あなたに受け入れられることを、相手がどれほど望んでいるか。
あなたの存在が、どれほど相手にとって幸福であるか。
あなたがただそこにいてくれるだけで。

あなたがどうか、最高に幸せな最後の恋を叶えますように。


タイトルはサンボマスター/世界はそれを愛と呼ぶんだぜ

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