野菜0の居酒屋メシをむしゃむしゃと平らげ、ぐびぐびお酒を飲んだ翌日、からだが野菜を欲している感じがした。
酔いが覚めないまま作っておいたミネストローネの味が沁みた。
にんにく、玉ねぎ、セロリににんじん、鶏胸肉。
水はトマト缶に残ったトマトをこそげるためにちょっと入れただけだから、ほぼ無水だ。
この水分は全部野菜やお肉から出てきたんだなあ、いのちの恵みだなあと、ぎゅっとした味が嬉しかった。
自分の感覚に自信がなかった。自分がおかしいのだと否定し続けてきた。
世間の普通と比較していたからだと思う。
普通と比べてしまったら、君は普通じゃない、この話はこれでおしまいだな! になってしまう。
普通かどうか、良いか悪いかではなく、自分にとって心地良いかどうか。
自分にとってどうなのか。
どうにかこうにか生きていくには、世間の普通や常識との距離感を自覚して振る舞うことは必要だ。
自分の感覚が普通じゃないと自覚する瞬間がものすごくたくさんあって、その度に自分を責めるような気持ちにもなるけど、それは常に自分をいじめているようなものだ。
そういう風にできているのだから、仕方ない。諦めが肝心だ。
ジャンクなものをたくさん食べたら野菜が欲しくなるように、自分のからだはちゃんとバランスを取ってくれている。
だからもっと、このからだから生まれる自分の感覚に委ねていいのだと、ふと思った。
どうして信じてくれないのかと投げかけてしまった。
それは本当は相手に言いたかったことではなくて、もう一人の自分がいるならば、その自分がずっと私に問い続けてきた言葉だったのかもしれないと、今更思った。
あなたもどうか自分自身を愛せるように。
どうか元気で、幸せに。
タイトルはPIERROT/SEPIAより
「いつの日かこれで良かったと何気無く思うのだろう」
日常
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