封筒が届いた。
年間パスをゲットしていたので、会員扱いをしてもらえているらしい。
パスの期限まで、あと何回行けるだろう。
毎回、お土産を物色するのも楽しい。
大事な場所が増えた。それは幸せなことだ。
期限が切れたらまたパスをゲットして、きっと何回でも出かけたらいいのだ。
隣にあなたがいない、それが寂しいけれど。
そんなこんなも全てひっくるめて、ファミリーやカップルに混ざって。
ぽっかりと穴が開いているみたいな感覚が昔からある。
心が誰かや何かに向かっている時、それが消える気がする。
誰かや何かに向かっている時、穴から水が溢れて、まるで泉のようになる。
穴ではなく器みたいに、きれいな水でいっぱいになって、文字通り満たされる感覚になる。
でも、その誰かや何かがいなくなってしまったら、空洞になってしまう。
何かが足りない、何かが欠けているような。
ぽっかりと空いた穴を埋めようとするために感じるのが、寂しさなのだろうか。
寂しさがあるから誰かと繋がれる。
誰かを愛したり愛されたいと思う。
今も、これまでも、決してひとりぼっちではなかった。
家族も友人もいる。毎日通う職場がある。
気にかけてくれる人がいる。
ありがたいことだ。
でも、やっぱり穴が開いている。
その穴はもしかして皆にあって、普段は大切な何か、家族や友人や恋人、推しや趣味や何だので隠れているだけなのかもしれない。
穴を隠し、忘れさせてくれる何かが途切れた時に、穴があったと気がつくのかもしれない。
そこにはずっと穴があって、きれいな水で満たしてくれた何かがたまたまあっただけ。
その水面に映るのは、きっと幸せそうな表情なんだろう。
きれいな水で満たしてくれる何か、心から求める何かが見つからないとき、あるいは失ってしまったとき。
手っ取り早く穴を埋めてくれる何かを探すことは生きる知恵かもしれないし、趣味だとか、食べたいものを食べたりお酒を飲んだりすれば、その時だけは満足感が得られる。
でも、それ自体に対する熱量よりもただ気を紛らわすためのような、全て対症療法みたいな感じがする。
この穴は、いつ空いたのだろう。
気がついたらもうあった。
弱い自分を責めて、強くなりたいと思ってきた。
自分で自分を愛し、満たせるようにずっと頑張ってきた。
誰かに守って欲しい、愛してほしいなんて甘ったれた気持ちを恥ずかしく思いながら、それを捨てられないまま、一人でも安心して生きられるようになりたいと震えていた。
自分一人支えられないくせに、誰かを守れるくらいに強くなりたいと願い、ちっともそれができない自分を責めた。
何度も何度も、この穴を自分で埋められるようにもがいてきた。
毎日びびり散らしているけれど、本当は、自分で思っているよりもずっと強いのだと思う。
一応多分、ちゃんと自分を守ることができているし、家族や友人や職場の人、いろんな人に守ってもらっている。
たまには多分、誰かの役に立てている。
今も、そしてこれまでも。
落ち込んだりめそめそすることはなくならないけれど、もがいてきた分少しは強くなれたのだと思う。
無力で何もない自分では愛されないと思っていたけど、思っているよりも、何かがあるのかもしれない。
こうなりたかった、という理想とはかけ離れた、真逆みたいな自分だけれど。
寂しいなあ、のあとに、会いたいなあと思える誰かがいることは、きっと幸福なのだ。
たとえそれが叶わないとしても。
会いたいから寂しい。会えないから寂しい。
今はどんなに強がってもたまらなく寂しいけれど、その人と出会えたから、自分でよかった。
自分が自分でなければ、出会えなかった。
こういう自分だから良いと思ってくれる人が確かにいた。
もう会えないけれど、そんな風に思ってくれた人がいた。
その人にとっての大事なものにしてくれた。
それがどれだけ私を勇気づけてくれることだろう。
私にも、誰かを幸せにすることができるかもしれない。
一番そうしたかった人にそれをできないことがずっと痛い。
でも、与えてもらったものをちゃんと受け取ることが、自分の一部として大事にしていくことが、
大事にしてもらった自分を大事にすることが、せめて自分にできることなんだろう。
稼ぐ力とか技術とか、人に認めてもらえたり、一緒にいて誇らしいと思ってもらえる何か、役に立ったり守ったりできる何かを身につけたかった。
何度も転びながら恥をかき、べそをかいた。
それなのに、やっと辿り着いたのがただの自分を認めることだなんて。
笑ってしまうけど、きっとそれを得るためにものすごく遠回りしたんだろう。
何度も何度ももうダメだと思いながら、自分を諦めきれずに頑張ってきたんだよな。
もう、いいんだ。
3歩進んで4歩下がり、3歩進んで2歩下がる、この自分で大丈夫なんだ。
やっぱりこんな自分じゃダメだとか、また思ったりするんだろうけど、それでもいいんだ。
それでもきっと大丈夫なんだ。
理解したい、理解されたい。
愛したい、愛されたい。
誰かと心から繋がりたい。
自分にもそういう日が来てくれるのか、わからない。
だけれどもう、それ以外の何かでは、多分満たされることはないのだと思う。
他の何かで誤魔化すのではなく、自分の寂しさを寂しさのまま受け入れる。
ここに穴があるよ、欠けているよ、ひとりじゃ不完全だよ、早く埋めないと落っこちるよと急かしてくる寂しさを、ただ眺める。
時にはじたばたしたり、ああどうにかしたいとそわそわしたりしながら、ただ感じるしかない。
もしかしたら少しは、この穴に自分できれいな水を注げるようになれたのかもしれない。
これからも、自分を満たしたり愛したり楽しませたりするのはまず自分なのだけれど、やっぱり、誰かが必要なのだろう。
それを弱さだと思っていたけれど、弱さではなく、ただ本質なのかもしれない。
弱さだったとしても、構わない。
弱さを弱さとして受け入れる、それも自分への愛なのだと思う。
自分自身への愛と、誰かから自分への愛と、自分から誰かへの愛。
どれも必要だ。相手と自分以外の、色々への愛も。
穴を埋めるためにほしいわけではないはずだけれど、穴がなければほしいとは思わなかったのか。
穴を埋めることと、心を満たすことは違うのか…心自体が穴なのか?心に穴が空いたのか。
大きくなったり小さくなったり。
穴だから、いろんな感情で満たしたくなる。
満たしてくれる何かがなければ、寂しさが溢れ出る。
器だから、いろんな感情を受け止められる。
…よくわからないけれど、でも自分が本当に求めるのはそれだけなのだと思う。
もう、それ以外に求めるものがないのだから、いつかその時が来ると祈るしかない。
その日が来ることが楽しみだ、くらいの気持ちでいられたらいいのだけど。
確信を持てるほどには、強くはないみたいだ。
穴がある。
心がある。
自分がいる。
一人では心細くて寂しくて、愛されたくて、ぽっかり空いた穴をどうにかしたくて、何度も悪あがきして沢山行動して、結局一人だ。笑うしかない。
もう諦めろ、受け入れろ、それ以上策を弄さずともよい、じっとしていろとでも言われているみたいだ。
でも、笑えるほどには強くなったんだ。そして、愛されるよりも愛したいと願う。
私はきっと愛されてきた、愛してもらっていたのだから。
全てが必要だったように思う。
一生懸命だった、若い頃の自分。すれ違った人、二度と会えない人。
形のないものを沢山与えてもらった。
そして、頑張ってくれた過去の自分が与えてくれたものがある。
その全部が、自分で思うよりも確かに、この先も自分を支えてくれるのだと思う。
100周回って最初の場所に戻ってきたような感じだ。
それだけ本当に、永遠の愛ってやつがほしかったんだよな。
心から繋がって、一緒にいたかった。
それが何かもわからないまま、はっきり言葉にできないまま、でもきっとそれだけがほしくて、ずっとずっと求め続けて、側にいてほしくて、それでも祈りは届かなかった。
まあ仕方ないさ、ローザが祈っても、ポーラが祈っても、届かないときは届かないのだから。
ちょっと遅効性の祈りということにしておこう。
いつか届いたらいいな。
そして、これからも祈り続けよう。
そう、例えば恋するフォーチュンクッキーを口ずさみながら。
何なら自分でクッキーを焼いたらいいのだ。上手に焼けるまで何度でも。
あるいは、懲りずに下手くそに踊って歌い続けていたら、ちょっと焦げていても、崩れていても、おいしそうだねって言ってくれる誰かが、バターの香りにつられて寄って来てくれるかもしれない。
「あっと驚く奇跡が起きる あなたとどこかで愛し合える予感」
…いつか本当に、愛し合えますように。
目標や何かに向かって行動せずに、何もしないでいるのは落ち着かない。
でも、今必要なのは行動ではないのだろう。
立ち止まる。受け入れる。自分と一緒にいる。
もう大丈夫と思った側からもうダメだと思ったり、
もう疲れたと思っても、やっぱり諦められなくてまたうろうろしたり、
行きつ戻りつしてばかりだけど、そうやって、ここまで生きてきた。
何度も何度も、自分と手を繋ぎ直す。
もし手が離れてしまっても、きっとまた繋ぎ直せるはずだ。
手を伸ばして、その手をとって握り返す。
きっといつだって、手を差し伸べてくれていた。
気がつけなくてごめんね。
いつも見失ってごめん。
心のどこかでわかっていたのに、ただうまくできなかったんだ。
諦めないでいてくれてありがとう。
お疲れ様、自分。
本当によく頑張ったね。


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