だって、変わることができたら愛してもらえるかもしれない。
少なくとも今のままでは、愛してもらえない。
自分のままでは、愛してもらえないんだから、どうにかして強くならなくては。
何かができるようにならなくては。
そうやって必死に生きてきた。
変わりたいと思うのは向上心でもあるけれど、自己否定をしているということでもある。
今の自分じゃダメだから、変わらなくてはいけない。今のままじゃダメだと。
だからずっと、自分を否定して生きてきた。
反面、自分で自分を愛せるようにならなくては、誰にも愛してもらえないのならそうできるようにならなくてはと、半端に止血をしながら。
変われば愛してもらえる、愛してもらえなければ生きてはいけない。
いつの間にか、呪いみたいな信念を抱いていたのかもしれない。
愛されなくても生きていけるし、そもそも愛されてないのではなく、望むような形では愛されなかっただけなのだ。
自分以外の何者かになれれば、頑張って変わることができれば愛してもらえると、信じていた。
どうせ自分なんてといじけて、自分で自分を愛するとか言いながら、最後の最後まで心のどこかで期待していた。
こんなに頑張ったのだから、何者かにはなれなかったとしてもいつかきっと愛してもらえる、理解してもらえる。
こんなに、こんなに、こんなに頑張ったのだから。
でもまさか、本当に愛されないという結末が待っているとはさすがに思わなかった。
本当に、自分で自分を愛するしかない。自分しかいない。
愛してもらえなかったわけではない、頭ではわかっている。
望むようには愛してもらえなかった、切望したような愛は与えてもらえなかっただけ。
育ててもらった。
信頼できる仲間にも出会えた。
でも、心を守って欲しかった。理解してほしかった。
毎年春先は不調だ。
とはいっても、年々調子良い時間なんて少なくなっている。
多分、あれもこれも寄る年並み。ただの加齢。
加えて、からだがガチガチにかたまって、縮こまっているのだろう。
頭から首から肩から背中から。
ガチガチになって、物理的に身動きが取れなくなっている。
緩める。
気の持ちようとかよりも、からだの状態。
人間は物質。私は動く物体。
体力つけようと歩いたり筋トレしたり、栄養も大事だとサプリを飲んだり。
効いているのかいないのかわからないが、何もしないよりは多少マシなはず。
そんな風に自分で自分を守ろう、大事にしようと思ってきたことは嘘じゃない。
生きづらさだとかも、物理なのだ。からだは大事だ。健全な魂はなんとやらだ。
けれど、「普通」になるためには自分のままじゃいけないと、自分を否定してきた。
普通じゃなければ愛されないよと、自分で自分を脅して責め立てて。
ずっとずっと、ずっと。
なんとか頑張ってくれ、変わってくれよ、みんなみたいにできるようになってよと。
どうしてできないのと。どうしてお前はお前なんだよと。
どうして、どうしてみんなみたいに普通にできないのと。
魚なのに陸に上がろうとするような真似を、必死でやってきたのだろう。
本人は必死だ。でも側から見れば、滑稽だ。コメディだ。
そりゃ苦しいだろとしか。何をしているのか。
自分を変えることを、今度こそ諦める。普通になることを、諦める。
意図しないところで大きく変わったけど、望むような変わり方ではなかった。
この自分で生き抜いていける方法や環境、このままの自分でも呼吸がしやすい場所。
それはかなり、世間の普通からは離れているのだろう。
どうしてもそれを認められなかった。認めたくなかった。
必死で頑張ってきたすべてが無意味になってしまう。
今までの人生はなんだったのかと。こんな人生いらねえよと。
でも、これが自分なのだと。
頑張って頑張って頑張って、結局、自分だけが残った。
どうにかみんなと同じになりたかったけど、だめだった。
見えないカーテンで仕切られているみたいに、どうやってもあっちにいけない。
もう、いいじゃないか。
結局自分しか残らなかったのだから、仲良くやっていこうじゃないか。
こんな結末そりゃあないぜと悪態をつきたくなるのも躊躇うほど。
もう愛するしかないじゃないかと、諦め半分で受け入れるしかないような、呆れるほど必死の自愛。
いっそ、健気じゃないか。自分でそんな風に思えるほどに、頑張ったんだ。
ごめん、ごめんね。
これまでずっと、ごめんね。
あなたの愛はまるで呪い
考える

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